ジェームス・キャメロン監督作で1997年に公開された映画『タイタニック』が25周年3Dリマスター版として劇場で再公開されています。初回公開当時は商業的にも大成功したり、アカデミー賞の最多受賞作品になったりと、たいへん話題になりました。あれから25年も経ったのか…と感慨深くなったとともに、タイタニック公開当時のある思い出がよみがえってきました。(以下、映画の内容に触れます。)
この映画の公開から少し経ったくらいでしょうか。わたしはとある大学の医学部に在籍していました。医学部では2年次以降はとくに選択教科というものはなく、すべてが必修科目で人体のありとあらゆることをまずは座学で学びます。その日も大学の大講堂にクラス全員が集結して、朝から臨床講座の講義をきいていました。
何時間目かの精神科の講義のときです。講師として教壇に立っていた先生が、すこし講義内容とは外れた雑談をはじめました。
「映画「タイタニック」は観ましたか?みなさん、あの映画のどのシーンで泣きましたか?」
というような質問を学生たちに投げかけました。みんながざわざわしたのを見届けて先生は次のように続けました。
「やっぱり、ジャックが海に沈んでいく最後のシーンですよね~。いや、僕の(精神科に入院中の)患者さんに聞いたらですよ?「おばあさんになったローズがハート型の宝石を海に投げるところ」だっていうんですよ。びっくりしましてね、あんなシーンで感動するひとがいるなんて!やっぱり患者さんだな~って思いました。」
わたしはとても驚きました。なぜならわたしがこの映画のなかで一番感極まったシーンがまさにその老婦人ローズが”碧洋のハート、もしくは青き海の心(The heart of the ocean)”とよばれるダイヤモンドを海のなかへと落とすシーンだったからです。映画の冒頭では、かつてタイタニック号とともに沈没した、と思われているこの宝石を探しているひとびとが登場します。彼らが追い求めている「真に価値があるもの」は何か、ということはこの映画を貫く大きなテーマでもあります。お金に換算するととてつもない価値のある宝石を海へ沈めたローズの想いを考えると、彼女が「真に価値があるもの」と考えているのは何か、おぼろげながらわかってくるような気がします。それが、このワンシーンに凝縮されているのでないでしょうか。
世の中にはさまざまなひとびとがいます。好きなものやきらいなものも違うし考え方もちがう。そんなひとたちがかかわり合って社会を構成しています。価値観が異なるひとびとたちが共同体を営む上では困難な状況に陥ることも多々あります。そういうときに、違う考え方のひとを排除したり排除したりすることは簡単です。しかし、お互いの立場や考え方を理解するようにひとりひとりが努力をすることはできるのではないか。映画館で、タイタニック再演の巨大なポスターを見上げながら、大学時代のできごとを思い出しつつ、そんなことを思ったのでした。
精神科医の中井久夫(1934-2022)は統合失調症患者が示す繊細さ、やさしさ、そして人への敏感さを「心の生ぶ毛」とよび、以下のように述べています。
彼らが社会に生きる上でおおむね不器用な人であるとかりにいわれても、彼らの「心の生ぶ毛」とでもいうべきものは必ず、世に棲む上で、共感しヒトを引きつける力をもつであろう。それを世間的な意味での立ち廻り上手よりも高く評価する人間は、社会の側に必ずいると私は思う。急性期において、われわれのまずめざすべきものは患者の心身の休息であり、保存に努力すべきものは「心の生ぶ毛」であるといいたい。(「統合失調症をたどる」より)
