豊田市美術館 ボイス+パレルモ展

2021年5月12日は、ヨーゼフ・ボイスの100回目の誕生日でした。新型コロナウイルス感染の流行が少し落ち着いていた先月上旬、豊田市美術館で開催されているボイス+パレルモ展に足を運びました。

豊田市美術館は建築家・谷口吉生の設計です。坂をのぼると突然、視界がひらけて大きな池の上に浮かぶような美術館がすがたを現す、素敵な場所です。

ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイス(1921-1986年)は、教育、政治、環境など人々が社会に対しておこなう意識的な活動はすべて芸術活動であるという「拡張された芸術概念」を提唱しました。また、あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与することができ、自ら未来のために”社会”を”彫刻”していこうという「社会彫刻」という考え方を唱えたことでも知られています。ブリンキー・パレルモ(1943-1977年)はボイスの教え子でした。

脂肪や蜜蠟、そしてフェルトなどの素材をつかったボイスの作品は異臭がするそうで、透明のアクリルケースに収まって展示されていました。この熱や経年による変化も作品としての一部なのでしょう。

また、ボイスが「アクション」とよぶパフォーマンス作品も館内の至る所にあるモニターで観ることができます。ボイスのパフォーマンスとそれを取り巻く参加者の反応、それ自体がアート作品になっていて「すべての人間はアーティストである」というボイスのメッセージを感じることができました。

美術館にいくもうひとつの楽しみは、ミュージアムショップです。並ぶ本たちは書店であまり見かけないものが多く、どれも欲しくなってしまいます。今回は、布施英利「脳の中の美術館」を1冊だけ購入しました。ぱらぱらページを捲っていたら、わたしが好きなアンドレイ・タルコフスキーの映画「ノスタルジア」についての言及があったからです。

狭い店舗ながらも、美術関連の書籍が多く陳列してあった名古屋のアートショップNADiffも機会があれば寄っていましたが、閉店してしまったのはとても残念です。

京都大学未来フォーラム 森見登美彦氏対談

第77回京都大学未来フォーラムでは、作家の森見登美彦氏(農学研究科・修士課程修了)と人文科学研究所の藤原辰史准教授の対談がおこなわれ、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため先月までオンデマンド配信されていました。

森見氏の大学時代の思い出や小説家としての生活、「書く」ということ…など面白い話ばかりで、とある休日の朝に夢中になって聞き入っていました。

その対談のなかで、森見氏が幼少期に影響をうけた作品として舟崎克彦「ぽっぺん先生と帰らずの沼」を挙げていました。岩波書店のあらすじ紹介文は以下の通りです。

大学構内の沼のほとりでお昼を食べようとしたとき,ぽっぺん先生の腕時計が突然止まった.その瞬間から,先生はウスバカゲロウ,鼻長魚,カワセミと変身しつづけ,奇妙な冒険がはじまった.

単行本も文庫も絶版のようで、早速オンライン古書店で入手して読みました。沼の魔法に翻弄される先生と大学構内の生き物たちとの愉快なファンタジー作品で、こども時代に出会いたかった!と思いました。

また、『フランツ・カフカの小説の書き方についての本を読んだとき、自分の小学校時代に小説を書いたときの方法と似ていてびっくりした』というお話もありました。「カフカの書き方」という本がありますが、これを読まれたのでしょうか。

森見氏の作品では、有名な「夜は短し歩けよ乙女」や「四畳半シリーズ」はもちろん、「宵山万華鏡」や「夜行」などの日常と異世界のはざまのような話が好きです。今になって読んだ2018年の作品「熱帯」は、佐山尚一の『熱帯』という謎の小説を巡る話です。いくつもの物語が複雑な入れ子構造になっており、物語の語り手がだれなのか、いま読んでいる小説はだれの「熱帯」なのか…と本の中で迷子になる感覚がたのしめました。

フランツ・カフカ「流刑地にて」

「変身」、「審判」や「城」などの作品で有名なフランツ・カフカですが、「流刑地にて」という短編小説も残しています。

流刑地で行なわれる、奇妙な機械を用いての死刑執行。その機械は、「ベッド」「馬鍬」「製図屋」と呼ばれる三つの部分からできている。ベッドに縛りつけられた囚人を、馬鍬に取り付けた針が、製図屋の指図のままに刺し、刻んでゆく…。(白水Uブックス あらすじより)

以前 、「未来のイヴ」に関連してご紹介したミシェル・カルージュの「独身者の機械」では、この「流刑地にて」に登場する機械についても取り上げています。マルセル・デュシャンの作品「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、でさえも」に描かれた機械と関連させ、これらの機械が何を象徴しているのかという側面から興味深い考察をしています。

個人的にはこの短編小説は、「皮膚に刻まれる判決」というところがおもしろいと思っていて、これについては別の機会にふれたいと思っています。

ちなみに、村上春樹の小説「海辺のカフカ」でも主人公の田村カフカと図書館勤務の大島さんが「カフカの短編ではこれが一番すき」と会話する場面があります。わたしも一番好き、というには気が引けるほどのグロテスクさにあふれた作品なのですが、読後にさまざまな思いを巡らせるという点ではまぎれもない名作なのだと思います。

猪熊弦一郎のおもちゃ箱

猪熊弦一郎は昭和期を代表する洋画家の一人。「絵を描くには勇気がいる」が口癖だった猪熊は、具象から抽象へ、更に両方が融合した形態へ、常に新しいものに挑戦し続けた画家である。(NHK人物録より)

しばらく前のことですが、書店でふと目がとまった「猪熊弦一郎のおもちゃ箱:やさしい線」を購入しました。作品集なので、初めはぱらぱらカラー図版を眺めていたのですが、合間に挟まれている文章が思いのほかおもしろく、最初から最後まで読んでしまいました。

ぺリアン夫妻や藤田嗣治など名だたるアーティストとのエピソードもどれもほのぼのしていて、「猪熊さん」の人柄が伝わってきます。

帰宅してびっくりしたのは、自宅にもう一冊あったことでした。

「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 (MIMOCA)」に想いを馳せる、コロナ禍のきょうこの頃です。

アウトサイダー・アート

1945年にフランスの画家ジャン・デュビュッフェは精神疾患患者など美術の専門教育を受けていない人々が他者を意識せずに創作した芸術をアール・ブリュット、すなわち“生(き)の芸術”と名づけました。その後、1972年にイギリスの美術史家ロジャー・カーディナルにより、このアール・ブリュットに対応する英語として、そしてその概念を広げた「アウトサイダー・アート」ということばがつくられました。

これらの用語の創出に先立ち、1922年にドイツの精神科医で美術史家でもあったハンス・プリンツホルンは「精神病患者の創造」と題する本を出版しています。この本でプリンツホルンは450名もの精神病患者の5000点以上の作品をもとに、150枚以上におよぶ図版を示して創作物を紹介しました。

この日本語翻訳「精神病者はなにを創造したのか―アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点―」(ミネルヴァ書房)では、プリンツホルンは彼らの創作における心的事象を

“自己以外の目的に支配されず、ただ独りで自己自身の造形だけを目指す衝動的な生命の過程”

と表現しています。

展覧会の会場では、この『衝動』を目の当たりにすることがあります。また、美術手帖で連載されている櫛野展正「アウトサイドの隣人たち」では、全国津々浦々にいる”表現せずにはいられない”隠れた芸術家たちが紹介されています。美術の専門教育の有無にかかわらず、このような過程を経て創られたものは見るひとを圧倒する力を持っているようです。

『櫛野展正と行く!アウトサイドの現場訪問 関東ツアー2』イメージビジュアル

ソール・ライターと回顧展

ソール・ライターのような写真家は珍しい。ファッション写真の分野で成功をおさめながら、1980年代以降、色彩とフォルムの純粋な美しさを捉えることを希求する「自分の写真」を撮ることだけに専念していく。彼の写真の被写体は、彼の自宅から歩いて行ける範囲の見慣れた日常の光景だ。斜め後ろから、そっと、愛おしむように掠めとられたニューヨークのストリート・シーン。そこにスナップすることの歓びが溢れ出している。  飯沢耕太郎(写真評論家)「展覧会へのメッセージ」より

一年ほど前に、映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」(原題:In No Great Hurry: 13 Lessons in Life with Saul Leiterを観ました。

晩年のソール・ライターに密着し、彼の半生を辿る長編ドキュメンタリー映画です。本人のインタビューとともに、彼がカメラを手に自宅周辺を散歩する様子や、自宅で猫と戯れながら写真を整理する姿が淡々と描かれています。

これまでのスナップ写真たちがどのように生みだされてきたのか、このドキュメンタリーを通して伺い知ることができたように思いました。猫と思い出の作品ともに暮らす静かな生活。”In no great hurry”ということばも心を打つのでした。

回顧展は2017年にBunkamuraから始まり、現在は美術館「えき」KYOTOで3/28まで開かれています。映画も3/5-3/11までの短い期間ですが、京都シネマで上映されています。

「イノセンス」と「未来のイヴ」

押井守監督のアニメ映画「イノセンス」は「Ghost in the shell/攻殻機動隊」の続編となる作品です。2004年に公開されました。この映画の冒頭はフランスの作家ヴィリエ・ド・リラダン「未来のイヴ」からの引用で始まります。

”われわれの神々もわれわれの希望も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか

「未来のイヴ」は科学者エジソンがひとりの恋する青年のために、理想の女性を模したハダリーという人造人間(アンドロイド)をつくりだす物語です。1886年に発売されたSF作品ですが、その色褪せない魅力により数多くの作品で引用され、わたしも大好きな小説のひとつです。

このハダリーという存在は、「イノセンス」だけでなく、岩井天志・小濱伸司により制作された自動人形映画「独身者の機械」(1998年に公開)や、伊藤計劃・円城塔のSF小説「屍者の帝国」(2012年)にも登場します。

フランスの批評家ミシェル・カルージュは1954年に出版した「独身者の機械」で、未来のイヴをはじめとした芸術作品について「独身者機械」をキーワードにして紐解く、独創的な考察を展開しています。

じつは、「イノセンス」の冒頭部分は、「未来のイヴ」そのものの邦訳ではなく、このカルージュの旧邦訳版「独身者の機械 未来のイヴ、さえも・・・・・・」から引用されているのです。このことは、「イノセンス」もまたカルージュの独身者機械論に大いにインスピレーションをうけて生まれた作品である証だと思います。

ルイジ・ギッリ「Atelier Morandi」

ジョルジョ・モランディ(1890-1964)は卓上の静物と風景を描き続けたことで知られるイタリアの画家です。そのモランディの亡き後、そのままにされていたモランディのアトリエをイタリアの写真家ルイジ・ギッリ(1943ー1992)が撮った作品シリーズがあります。ギッリはこのシリーズ制作中に急逝し、これがギッリの最晩年の作品となりました。

私がこの写真集「Atelier Morandi」をはじめて手にとったのは恵比寿にあったアートブック・インテリアショップのlimArt(現在はPOST)でした。15年以上前でしょうか。私のほかにお客さんもなく厳選されたアートブックが整然と並べられている店内、店内に響く木の床をゆっくりとあるく自分の靴音、そしてその本の写真から感じられる静謐さとどこか張りつめた雰囲気がシンクロして、妙に印象に残っていたのを覚えています。

その後、その写真集のことはすっかり忘れていたのですが、あるとき「自分が住みたい家」のイメージを問われてじっくり考えていたところ、limArtで手に取った写真集のことが突然古い記憶の底からよみがえってきたのでした。あの写真集でみたような部屋に住みたい、と。その本のタイトルもだれの写真集かも覚えていなかったのですが、現代のインターネット情報網は偉大です。すぐに「Atelier Morandi」という写真集につきあたりました。

ギッリの写真集が私の古い記憶からに掘り起こされてから3年ほど経ち、手元においておきたいと、機会があれば探していますが、残念ながらまだ再会できていません。ただ、須賀敦子全集の装丁にはこのモランディのアトリエ写真がつかわれ、いまでもときどき目にすることができるのが嬉しいです。

二笑亭奇譚

以前ご紹介した精神科医の式場隆三郎(1898-1965)は、現在はアウトサイダー・アートとよばれる作品たちを日本で先駆けて見出し、評価した存在でもありました。

式場は東京・深川に建てられた奇怪な個人住宅である「二笑亭」に興味をもちました。建築を取り仕切った主人は1936年に精神科病院に入院し、二笑亭は取り壊されることになります。式場らは解体前にこれを調査し、1938年に調査資料を「二笑亭奇譚」としてまとめました。

わたしの蔵書は1956年に三笠書房から出版された「二笑亭奇譚」です。価格が130円と表記されていることにも時代を感じます歴代の本も、それぞれ装幀がすてきですね。

2020年2月には、新装版「二笑亭奇譚」が中西出版から発売されました。