半年ほど前のことになりますが、世田谷文化生活情報センターの一角で開催されていた「動物と人間のあいだ」展に行ってきました。人類学を中心とした研究者やアーティストらによる、人々は動物をどうえがいてきたか?を問う展覧会であり、”えがく”は絵画やスケッチに留まらず、音楽や踊り、研究も含めた意味だそうです。
ここ数年、日本を含めた世界各地の人々の暮らしやその歴史に興味があり、関連書籍を読んだり機会があれば展覧会に足を運んでいたりしていたので、この展覧会を知人に教えてもらったときに、これは是非行ってみようと思っていたのでした。
大阪の民族学博物館に行ったときにも同じ印象をもったのですが、人類学や民族学は「学術」と「芸術」の距離が近く、ときに混じり合うことが可能な分野だと思っていて、その広さが魅力的なのかなと感じました。
山口未花子氏の展示では、カナダのユーコンに暮らす人が持っている”メディシン”と呼ばれる不思議な力の紹介がありました。メディシン・マンは病気を治癒したり、動物と波長を合わせて一部になることでその動物を操ったりそのものを通して物事を知覚できるそうです。
メディシン・マンもシャーマンに似た存在のように思われ、コミュニティの精神科も含んだ医師のような役割も担っており、治療対象の一つである「憑き」や「魔女」の中には精神疾患を思わせる内容があったりします。その点では私の研究分野である認知神経科学ともそう遠くはないのかも知れません。クロード・レヴィ=ストロースは『構造人類学』のなかでシャーマニズムと精神分析との相違について以下のように述べています。
精神分裂病の治療においては、医師が作業を行い、患者がその神話をつくり出す。シャーマニズムの治療においては、医師が神話を提供し、患者は作業をなしとげるのである。
メディシン・マンが動物や霊界と交歓するときに太鼓を用いると書かれているのも、生理学的に理に適っており興味深いです。ある一定のリズムを持つ聴覚刺激は脳でもリズムを発生させ、音を聴いている最中の脳の活動を変化させる効果があります。また、音は身体の動きを制御する脳の領域を賦活することも知られています。暗い空間の中、光と音の刺激で身体を動かしながら一種のトランス状態に入るのは、クラブなどで体験したことがある人もいるかも知れません。これに神経伝達物質のふるまいを少し変える薬草などの助けがあると一層の相乗効果があるはずです。物理的な刺激や薬学的な作用により嗅覚や聴覚などがいつも以上に研ぎ澄まされて熊の気配をより鋭敏に知覚したりすることができるようになる可能性があります。とはいっても誰でもができるわけではなく、資質をもったものが長年の経験と修練を経て、コミュニティの信仰を得ることでようやくメディシン・マンとなるのでしょう。
大西侑香氏の展示では、西シベリアのハンティ人は動物の毛皮をブーツや外套などの防寒具として加工して日常生活に利用していること、人々がそれぞれのブーツや外套が生前どんな動物の毛皮だったのか、どこでハントしたのかなど詳細をずっと覚えていることが紹介されていました。
太古から人間は誰か身近な人や自らがつくった衣服を身につけて、表皮の保護と防寒、そして装飾をしていました。現在はどこか遠い国で大量生産された服が安価で店頭に並び、容易に手に入れることができます。冷暖房の効いた清潔な現代では衣服はもはや社会的なシグナルが主な機能であり、その多くが購入されることなく次の流行に押し出され、廃棄されていきます。そのような社会に疑問を持ちつつも、ストーリーのある誰がつくったか自明な服はハイブランドの作品やオーダーメイドに限られ庶民の懐には厳しく、自ら仕立てる技術も時間も情熱もない者たちは、妥協の産物を毎日纏って暮らしているのです。ただ、そんな既製品の中でも「このジャケットは大事な発表のときに着て行ったもの」とか「このストールはおばあちゃんに買ってもらったもの」などそれぞれにストーリーがあるはずで、そういった記憶を大切にしながらお気に入りの服やものに囲まれながら豊かに生きたいと、この展示を見ながら思ったのでした。
