ウルトラセブン 4Kリマスター版

すこし前に、NHK-BSプレミアムでウルトラセブンの4Kリマスター版が放映されていました。「ウルトラセブン」は、「ウルトラQ」「ウルトラマン」に続く円谷プロダクションの空想特撮シリーズ第3弾です。1967年から約1年間、テレビ放映されました。

エレキングやメトロン星人に代表される怪獣の造形の可愛さだけでなくストーリーのおもしろさが魅力的です。とくに、第44話「恐怖の超猿人」は霊長類研究所のお隣、日本モンキーセンターが舞台になっています。モンキーセンターで展示されているゴールデンライオンタマリンという黄金の毛をもつサルが実は…というお話です。とても怪しい博士や実験装置がでてきたり、人のような猿のような男が登場したりと、いろいろ突っ込みどころがありつつも、展開が読めずにドキドキ・ハラハラもしてしまう回です。

ファッションや部屋の内装も、古さを感じずいま見てもおしゃれだなと思うものも多いです。とくに、第34話「蒸発都市」にでてくる 霊媒師のユタ花村の雰囲気がとても気に入っています。オリエンタルな顔立ちを生かすアイラインを強調したメイクが素敵です。またストーリーでは、自宅に帰ると奥さんに「どちらさまです?」といわれてしまう、安部公房的な第47話「あなたはだぁれ?」が、日常がひっくり返る感じがする作品で個人的には好きです。

アンドレイ・タルコフスキ―「ノスタルジア」

旧ソ連の映画監督であるアンドレイ・タルコフスキー (1932-1986) の映画「ノスタルジア」(1983年)は大好きな作品のひとつです。タルコフスキーというと、「惑星ソラリス」(1972年) の方が有名かもしれません。スタニスワフ・レムのSF小説「ソラリス」が原作となっています。

映画「ノスタルジア」は、何か劇的なできごとがつぎつぎに起こるストーリーではありません。登場人物も、この映画の主人公でありモスクワからイタリアへ旅行にきている作家で詩人のゴルチャコフ、旅に同行している通訳のエウジェニア、旅先の温泉街で出会った世界終末から人類の救済を試みるドメニコくらいしか登場しません。しかし、作品中のドメニコの家のなかの壁にかかれた「1+1=1」や、広場でのドメニコの行為をみつめる観衆が石段に立っている様子…などいくつもの心に残るシーンがあります。たとえていうと、まるで構図を計算しつくして撮られたアンリ・カルティエ=ブレッソンの一枚の写真のように、その「決定的瞬間」が脳裏に焼きつくのです。この美しい映像を、映画全編を通して堪能することができる作品です。

作品に対する表現の制限や信仰への圧力が強まる中、タルコフスキーはソ連を出国し、この映画はイタリアを舞台に撮影されました。そして、この映画の完成直後の1984年、タルコフスキーはイタリアへの亡命を正式に表明します。「ノスタルジア」では、主人公のゴルチャコフは、弾圧をうけつつイタリアを放浪しロシアに帰国して自殺した18世紀の音楽家の足跡を追います。また、ゴルチャコフの心的映像としての故郷の光景も挿入されます。すべてはタルコフスキー自身のノスタルジア、故郷への想いを重ねたものであり、これらがフィルムに焼きつけられた作品になっています。

私自身は郷愁、いわゆる、いまはは離れている生まれ育った土地を想って寂しく思う気持ちはあまりありません。多少離れているとはいえ、文化もさほど変わらない小さい国のなかだからでしょう。ですから、主人公の故郷への気持ちに対してそれほど感情移入はできないのです。それでもこの映画がすきなのは、幼いころ自分を通してみた映像やそれらを基に記憶として脳内で形成された映像たちと感情がいまの自分自身を形づくっている実感があり、それらをこの作品を通してつよく感じることができるからかもしれません。 

「ノスタルジア」の一場面 (C)1983 RAI-Radiotelevisione Italiana.Licensed by RAI TRADE-Roma-Italy,All Right Reserved.

諸星大二郎展

現在、三鷹市美術ギャラリーで諸星大二郎展が開催中です。

諸星大二郎(1949年生まれ)は多数の熱狂的ファンをもち、異分野のクリエイター、研究者といった幅広い層からも絶大な支持を得ている漫画家です。1970年『ジュン子・恐喝』で実質的なデビューを果たし、74年『生物都市』で第7回手塚賞を受賞、本格的な活動を開始しました。(三鷹市スポーツと文化財団サイトより)

考古学者である稗田礼二郎を主人公としたシリーズ(いわゆる妖怪ハンター)の中のエピソード「黒い探求者」にはヒルコさまという異形がでてきます。このヒルコさまになってしまった考古学者であった八部少年の父の姿が顔出しパネルとして美術館に置かれているそうです。東京在住であったら、是非顔をだしに行くところですが…残念です。

個人的には、ある惑星に仕事にいき現地の女性に魅かれた男性の姿を描く、「男たちの風景」という短編がすきです。

諸星大二郎の作品は、異界を垣間見せてくれるものでもあり、でも逆にどこか懐かしさも感じるものが多いです。心を深いところで揺さぶられるのが魅力ですね。

アアルト展と横尾忠則展

先月、仕事で神戸に滞在していました。コロナ禍でもあり、プライベートで街中にでる時間がほとんど取れなかったのですが、一度だけアーケード通りを歩いたときに、美術館の広告をみつけました。兵庫県立美術館の企画展「アイノとアルヴァ 二人のアアルト」と横尾忠則現代美術館の「Curators in Panic 〜横尾忠則展 学芸員危機一髪」です。

モダニズムの建築家として世界的に活躍したアルヴァ・アアルト(1898-1976)には、25年間にわたりデザインパートナーとして対等な関係にあった妻アイノ・アアルト(1894-1949)がいました。現在、アルヴァの業績とされている多くの作品には、アイノの思想や影響が多分に生かされていたことが明らかになっています。(兵庫県立美術館サイトより)

アルヴァとアイノの仲の良さが伝わる写真を中心につかった企画展のポスターがとても素敵でした。

そして、前回の神戸出張から気になっていた横尾忠則現代美術館。2020年の『兵庫県立横尾救急病院展』といい、いつもおもしろそうな企画展が開催されています。制約なく、いろいろなところへ足を運べる日が早く訪れますように。

(横尾忠則現代美術館サイトより)

おもいでの絵本

鞄に本を入れ忘れて外出したある日、待ち時間に読むものを探していて&Premium特別編集「あの人の読書案内。」を手に取りました。

この雑誌のなかに「私の思い出の本」という特集があり、29名のクリエイターがこどもの頃に読んだ思い出の本(おもに絵本)を紹介していました。自分にとっては懐かしの絵本とは何だろう?と考えるきっかけになりました。

私がこどもだった頃に読んだ絵本、こどもたちが小さかった頃に読んであげた絵本。かぞえきれない絵本たちが私を通り過ぎていき、そしていまの私をつくっています。そのなかでもとくにお気に入りだった絵本のうち、再入手して現在手元にあるものをご紹介します。

ひとまねこざるびょういんへいく M.レイ 文 , H.A.レイ 絵 , 光吉 夏弥 訳

移動図書館で何度も借りたお気に入りの絵本です。この「ひとまねこざる」シリーズはアニメ「おさるのジョージ」の原作となりました。はめ絵のこまをキャンディーだと思って飲み込んでしまったジョージはお腹が痛くなります。かかりつけのお医者さんで診てもらい、こども病院に入院して”こま”を摘出してもらうお話です。「お医者さん」「さる」と、私のこれまでの歩みに大きな影響を与えたに違いない、と思わせる絵本です。

原作者であるレイ夫妻の足跡は「戦争をくぐりぬけたおさるのジョージ」という本になっています。この中に、レイ夫妻がブラジルでの新婚生活の際、ペットとしてマーモセットを飼っていたことが書かれています。旅行先のヨーロッパの寒さで残念ながら亡くなってしまったようです。マーモセットの体調管理の大変さがわかるエピソードです。

おによりつよいオレマーイ(サトワヌ島民話)こどものとも 1975年7月号 土方 久功 再話・画

とおいみなみにあるサトワヌ島の、とてもとてもつよいオレマーイという少年のお話です。小さいころとても好きで繰り返し読んだ絵本のひとつですが、ストーリーも絵もちょっと奇妙なこの本のどこにそんなに惹きつけれられるのか、当時はよくわかっていませんでした。

土方久功(ひじかたひさかつ 1900-1977年)は東京美術学校(現在の東京藝術大学)で彫刻を学んだ芸術家であり、パラオ諸島の調査に携わった民俗学者でもあったようです。文字を持たないサトワヌ島(現在のサタワル島)の民話をいくつも採録し、民俗学的資料として残しました。そのなかのひとつがこのオレマーイの話だそうです。太平洋に浮かぶ南の島で口から口へ伝えられてきた民話が、土方の研究とその芸術性の高い絵によってひとつの絵本となりました。自らの調査地で見て聴いてきたさまざまなことを「こどものとも」という月刊誌を通して日本のこどもたちへ届けたい、という情熱が幼い少女のこころを動かしたのかなと今になって思います。

くいしんぼうのあおむしくん こどものとも 1975年235号 槇 ひろし 作  前川 欣三 画

かの有名なエリック・カールの絵本「はらぺこあおむし」になんだか似たタイトルですが、内容はまったく違います。ある日、まさおくんの帽子についていたのは何でも食べるあおむしくん。最初はゴミを食べていたのですが、どんどん大きくなって、家や船、町まで飲みこんで…。というストーリーです。こどもながら、後半にでてくる荒寥とした世界の場面が好きでした。ここ最近のディストピア小説が無性に気になる原点となる本なのかもしれません。ラストのページもよいのです。読んだあと、自分がいま居る世界の見方がちょっと変わる絵本です。

回文「つつみがみっつ」

みなさん、「回文」はご存じでしょうか。上から読んでも下から逆に読んでも同じ音になり、なおかつ、​ことばとしてある程度、意味が通る文のことです。

福音館書店のこどものともシリーズに土屋耕一「つつみがみっつ」という絵本があります。主人公の少年とその両親が、新年のあいさつのために自宅から知人宅に向かい、帰るまでのお話しです。この絵本、なかの文がすべて回文になっているのです。小さかった頃、お気に入りだったこの絵本は祖父母の家に置いてあり、遊びに行くたびに何度も読んだ記憶があります。こどもにとっても回文はとても魅力的なものですね。

「つつみがみっつ」作の土屋耕一 (1930-2009) は数々の企業広告のコピーをつくりだしたことで知られる、日本のコピーライターの草分け的存在です。多くの回文を考えだしたことでも知られており、「軽い機敏な仔猫何匹いるか 土屋耕一回文集」として出版されました。

「つつみがみっつ」の絵はたざわしげると記載されています。油彩画家の田澤茂(1925-2014)のようです。1975年の出版物ですが、たのしいイラストは時代を越えて読者をうきうきさせてくれます。こどもだったわたしはこの絵本のなかでは、主人公の少年が両親にともだちを紹介する場面ででてくる「このみくん、三年三組の子」という回文がお気に入りでした。いまでも覚えています。絶版で入手しづらいのがとても残念です。

イラストレーターの和田誠 (1936-2019) も土屋耕一と同様に、ことばを愛するひとでした。絵本「ことばのこばこ」は、しりとりや同音異義語をつかっただじゃれ、なぞかけなどことばの遊びに溢れた作品です。このなかにも回文がでてきます。こどもの頃に何度も何度も読んだので、実家にある絵本はもうぼろぼろになっています。

さきほど紹介した 「軽い機敏な仔猫何匹いるか 土屋耕一回文集」 の装幀や段組みは、和田誠さんが手がけています。また、土屋耕一さんのしごとをまとめた二冊組の本「土屋耕一のことばの遊び場。」は和田誠さんがコピーライターの糸井重里さんに依頼してつくった本だそうです。ことばの魔術師たちによる素敵な作品です。

(福音館書店のサイトより)

杉原千畝と「命のビザ」

岐阜県八百津市には用事があり、ときどき行くことがあります。以前行ったときに少し時間ができたので、初めて杉原千畝記念館に足を運んでみました。

杉原千畝(1900-1986)は八百津で生まれました。のちに外交官となり、第二次世界大戦中はリトアニアの都市カウナスにある日本国総領事館に領事代理として赴任していました。

1939年9月、ナチス・ドイツとソ連のポーランド侵攻により同国が分割される中、中立国だった隣国のリトアニアへユダヤ人は避難民として逃げ込みました。しかし、リトアニアもソ連併合が確実となり、彼らにはもはや日本通過ビザを得て、第三国へ再び逃れる道しか残されていません。1940年7月18日、ユダヤ人難民がビザを求め領事館へ押し寄せます。杉原は本国へ大量のビザ発給を打診しますが、本省からの回答はいずれもビザ発給の拒否でした。彼は悩み苦しんだ末、良心に従い、本国の命に反して独断でビザ発給の道を選択します。それは、人道・博愛精神に基づく「命のビザ」発給と言う大きな決断でした。(NPO法人 杉原千畝命のビザ より)

わたしはこの地方に来て初めて杉原千畝の存在を知りました。こどもたちは、杉原のことを地域の偉人として学校の授業で学んだそうです。2015年には唐沢寿明さん主演で映画化されたので、それで知った方も多いのではないでしょうか。

八百津市はこの地に所縁がある杉原千畝の功績を讃えるために人道の丘公園と記念館を造りました。丘のうえには「命のビザモニュメント」が建っています。積み重ねたビザをイメージした形の石段が3つ、それぞれの頂点にはきらきらと光を反射する鐘がありました。

モニュメントがある丘からは森に囲まれた八百津のまちを一望できます。鐘を鳴らすと、その音がまち全体に降りそそぐように響いていきました。

人道の丘公園には、こども広場とよばれる遊具がたくさんあるエリアがあり、小さいこどもたちがはしゃぎながらお父さん、お母さんと一緒に遊んでいました。このような日常の平和な光景が脅かされることなくこれからも日々続いていくように、ひとつひとつ考えて行動していかなくてはならないと思った、ある休日でした。

「ソイレント・グリーン」と「人間がいっぱい」

2、3年前でしょうか。BSプレミアムで放映されていた「ソイレント・グリーン」という映画を、とくに事前の知識がないままに観ました。1973年の公開作品です。

2022年、爆発的な人口増加と環境汚染に見舞われたニューヨーク。合成食品ソイレント・グリーンの製造会社社長が殺された事件を捜査する警官は、背後に食糧危機打開のための政府の陰謀がある事を知る……。(allcinemaより)

ちょうどこの時期、ディストピアな世界を描いた作品にハマっていました。小説では、H.G.ウェルズ「タイム・マシン」、ジョージ・オーウェル「1984年」、レイ・ブラッドベリ「華氏451度」、オルダス・ハックスリー「すばらしい新世界」、伊藤計劃「ハーモニー」、スタニスワフ・レム「泰平ヨンの未来学会議」…、そして映画では「未来世紀ブラジル」などなど…。

幼少期から、常に傍らに本がある生活ではありましたが、SF作品を手に取ることはそれほど多くありませんでした。しかし、数年前に何かのきっかけでディストピアもののSF小説を読んでみたところ、一見 “理想的で平和な近未来”とその背景にある統制社会、そして根底に流れる現実社会への風刺という構造に魅かれてしまいました。その後は、機会をみつけては古典的な作品からひとつずつ触れていっています。

そんな中で観た「ソイレント・グリーン」は、まさにディストピアな近未来を描いた作品でした。人口増加と厳しい格差社会によって、合成食品「ソイレント・グリーン」の配給に頼る貧しいひとびと、高齢者が送られる「公営」の安楽死施設、書籍は入手困難で代わりに知識をもつひとびとが『本』とよばれ、裕福なものたちは高級住宅に『家具』とよばれる美しい女性たちを備え付け…などひとつひとつの設定が印象的です。派手なシーンがあるわけでもなく、全編を通して暗く、怖ろしい話なのですが、観終わったあとも、何かの拍子にふと劇中のシーンが頭を掠める、わたしにとってはとても印象に残る映画でした。

この映画は、1966年アメリカの小説家、ハリイ・ハリスンの「人間がいっぱい(原題 Make Room! Make Room!)」を原作としてつくられました。ちなみに、2006年に日本で舞台化されたときは、映画で主人公が最後に叫ぶ「真実を暴くセリフ」がそのまま公演タイトルになっているそうです。それってネタバレしていますよね…?

(Amazon.co.jpより)

不思議惑星キン・ザ・ザ

「不思議惑星キン・ザ・ザ」は1986年にソビエト連邦にて製作されたSF映画です。以前、レンタルビデオ店でたまたま手に取り、そのジャケットに魅かれて借りてみました。

冬のモスクワ。主人公のひとりが路上ではだしの男を見つけ心配して声をかけます。実はその男は地球に飛ばされた異星人で、彼が持っている装置に触ったことでもうひとりとともに主人公たちはキンザザ星雲にあるプリュク惑星に飛ばされてしまいます。そこの住人たちが話すことばは「クー」(と罵声語である「キュー」)だけ…というストーリーです。この異星人たちのゆるいキャラクターがなんとも言えずかわいく「ク―」のしぐさと相まって、主人公たちとのおかしみのあるやりとりに脱力し、おもわず笑ってしまいます。

しかし、実はこの映画はただのおもしろSF映画ではありません。プリュク惑星には厳しい身分の階級が定められており、ひとびとは理不尽な階級格差に耐えつつ生活をしています。映画が製作された当時のソビエト連邦では出版物に対する厳しい検閲がありました。それをかわすために、別の惑星を舞台としたSFコメディの衣を纏わせて世に出したと考えられています。そのような背景だからこそ、当時のソビエト連邦の人々にも刺さり、カルト的な人気を博したのだろうと思います。

この映画の監督であるゲオルギー・ダネリヤはアニメ版「クー!キン・ザ・ザ」を自ら製作しました。しかし、この作品の完成後の2019年に88歳で逝去し、この作品が遺作となりました。

「クー!キン・ザ・ザ」は今年5月から日本各地の映画館で上映されています。名古屋ではシネマスコーレで上映中です。緊急事態宣言下でもあり、現在は観にいくことができないのがほんとうに残念なのですが、いずれ鑑賞できることをたのしみにしています。

(screen onlineより)

豊田市美術館 ボイス+パレルモ展

2021年5月12日は、ヨーゼフ・ボイスの100回目の誕生日でした。新型コロナウイルス感染の流行が少し落ち着いていた先月上旬、豊田市美術館で開催されているボイス+パレルモ展に足を運びました。

豊田市美術館は建築家・谷口吉生の設計です。坂をのぼると突然、視界がひらけて大きな池の上に浮かぶような美術館がすがたを現す、素敵な場所です。

ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイス(1921-1986年)は、教育、政治、環境など人々が社会に対しておこなう意識的な活動はすべて芸術活動であるという「拡張された芸術概念」を提唱しました。また、あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与することができ、自ら未来のために”社会”を”彫刻”していこうという「社会彫刻」という考え方を唱えたことでも知られています。ブリンキー・パレルモ(1943-1977年)はボイスの教え子でした。

脂肪や蜜蠟、そしてフェルトなどの素材をつかったボイスの作品は異臭がするそうで、透明のアクリルケースに収まって展示されていました。この熱や経年による変化も作品としての一部なのでしょう。

また、ボイスが「アクション」とよぶパフォーマンス作品も館内の至る所にあるモニターで観ることができます。ボイスのパフォーマンスとそれを取り巻く参加者の反応、それ自体がアート作品になっていて「すべての人間はアーティストである」というボイスのメッセージを感じることができました。

美術館にいくもうひとつの楽しみは、ミュージアムショップです。並ぶ本たちは書店であまり見かけないものが多く、どれも欲しくなってしまいます。今回は、布施英利「脳の中の美術館」を1冊だけ購入しました。ぱらぱらページを捲っていたら、わたしが好きなアンドレイ・タルコフスキーの映画「ノスタルジア」についての言及があったからです。

狭い店舗ながらも、美術関連の書籍が多く陳列してあった名古屋のアートショップNADiffも機会があれば寄っていましたが、閉店してしまったのはとても残念です。