杉原千畝と「命のビザ」

岐阜県八百津市には用事があり、ときどき行くことがあります。以前行ったときに少し時間ができたので、初めて杉原千畝記念館に足を運んでみました。

杉原千畝(1900-1986)は八百津で生まれました。のちに外交官となり、第二次世界大戦中はリトアニアの都市カウナスにある日本国総領事館に領事代理として赴任していました。

1939年9月、ナチス・ドイツとソ連のポーランド侵攻により同国が分割される中、中立国だった隣国のリトアニアへユダヤ人は避難民として逃げ込みました。しかし、リトアニアもソ連併合が確実となり、彼らにはもはや日本通過ビザを得て、第三国へ再び逃れる道しか残されていません。1940年7月18日、ユダヤ人難民がビザを求め領事館へ押し寄せます。杉原は本国へ大量のビザ発給を打診しますが、本省からの回答はいずれもビザ発給の拒否でした。彼は悩み苦しんだ末、良心に従い、本国の命に反して独断でビザ発給の道を選択します。それは、人道・博愛精神に基づく「命のビザ」発給と言う大きな決断でした。(NPO法人 杉原千畝命のビザ より)

わたしはこの地方に来て初めて杉原千畝の存在を知りました。こどもたちは、杉原のことを地域の偉人として学校の授業で学んだそうです。2015年には唐沢寿明さん主演で映画化されたので、それで知った方も多いのではないでしょうか。

八百津市はこの地に所縁がある杉原千畝の功績を讃えるために人道の丘公園と記念館を造りました。丘のうえには「命のビザモニュメント」が建っています。積み重ねたビザをイメージした形の石段が3つ、それぞれの頂点にはきらきらと光を反射する鐘がありました。

モニュメントがある丘からは森に囲まれた八百津のまちを一望できます。鐘を鳴らすと、その音がまち全体に降りそそぐように響いていきました。

人道の丘公園には、こども広場とよばれる遊具がたくさんあるエリアがあり、小さいこどもたちがはしゃぎながらお父さん、お母さんと一緒に遊んでいました。このような日常の平和な光景が脅かされることなくこれからも日々続いていくように、ひとつひとつ考えて行動していかなくてはならないと思った、ある休日でした。

投稿者: Naho KONOIKE

大学の研究室で脳の研究をしています。このサイトでは、研究活動の紹介とともに日々感じたことなどを綴っています。このサイトのコンテンツは個人の見解であり、所属する機関とは関係ありません。

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