旧ソ連の映画監督であるアンドレイ・タルコフスキー (1932-1986) の映画「ノスタルジア」(1983年)は大好きな作品のひとつです。タルコフスキーというと、「惑星ソラリス」(1972年) の方が有名かもしれません。スタニスワフ・レムのSF小説「ソラリス」が原作となっています。
映画「ノスタルジア」は、何か劇的なできごとがつぎつぎに起こるストーリーではありません。登場人物も、この映画の主人公でありモスクワからイタリアへ旅行にきている作家で詩人のゴルチャコフ、旅に同行している通訳のエウジェニア、旅先の温泉街で出会った世界終末から人類の救済を試みるドメニコくらいしか登場しません。しかし、作品中のドメニコの家のなかの壁にかかれた「1+1=1」や、広場でのドメニコの行為をみつめる観衆が石段に立っている様子…などいくつもの心に残るシーンがあります。たとえていうと、まるで構図を計算しつくして撮られたアンリ・カルティエ=ブレッソンの一枚の写真のように、その「決定的瞬間」が脳裏に焼きつくのです。この美しい映像を、映画全編を通して堪能することができる作品です。
作品に対する表現の制限や信仰への圧力が強まる中、タルコフスキーはソ連を出国し、この映画はイタリアを舞台に撮影されました。そして、この映画の完成直後の1984年、タルコフスキーはイタリアへの亡命を正式に表明します。「ノスタルジア」では、主人公のゴルチャコフは、弾圧をうけつつイタリアを放浪しロシアに帰国して自殺した18世紀の音楽家の足跡を追います。また、ゴルチャコフの心的映像としての故郷の光景も挿入されます。すべてはタルコフスキー自身のノスタルジア、故郷への想いを重ねたものであり、これらがフィルムに焼きつけられた作品になっています。
私自身は郷愁、いわゆる、いまはは離れている生まれ育った土地を想って寂しく思う気持ちはあまりありません。多少離れているとはいえ、文化もさほど変わらない小さい国のなかだからでしょう。ですから、主人公の故郷への気持ちに対してそれほど感情移入はできないのです。それでもこの映画がすきなのは、幼いころ自分を通してみた映像やそれらを基に記憶として脳内で形成された映像たちと感情がいまの自分自身を形づくっている実感があり、それらをこの作品を通してつよく感じることができるからかもしれません。
