マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”

表舞台にでることのないファッションデザイナー、マルタン・マルジェラの軌跡を追う、ライナー・ホルツェマー監督の長編ドキュメンタリー映画『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』を観ました。マルジェラ本人の生い立ちから作品づくりの哲学、これまでコレクションの歴史や引退したあとの生活についてが丁寧に描かれていました。観終わったあと何か月経っても、ふとしたときに思い出される人生の指針となるような作品でした。

白い紙箱にプロジェクトやテーマごとに分けて収納された資料も印象的です。マルジェラがアシスタントを務めていたゴルチェのアトリエで同じようにごちゃごちゃの資料や素材などを箱に分類し整理したそうで、ゴルチェ本人から感謝されていました。箱に殴り書きされた黒マジックの文字さえもひとつのアート作品のように見えてくるから不思議です。マルジェラが自らその紙箱ひとつから出してきたこども時代にあそんだ着せ替え人形とてづくりの小さな服たちや、髪型や服を差し替えられるペーパードールにデザイナーとしてのマルジェラの原点を見ることができました。

当時のファッションモデルたちへのインタビューでは、ひとりひとりを仕事のパートナーとして尊重する姿勢や、彼女らがマルジェラとの仕事を誇りに思っていることが伝わってくるのでした。一人称はI(わたし)ではなくWe(わたしたち)であり、制作チームを大切にするマルジェラらしい姿勢だなと思いました。

服とは何か、装うということはどういうことか、人が社会で生きていくこととは…そんな思考や哲学を服を通して形にするアーティスト、マルジェラの人生を本人から語られる言葉を通して少しだけでも垣間見ることができ、非常によいドキュメンタリー作品だったと思います。また、「作品をつくることが好きなんだ」と言い、決して表にでることなく引退後も自分の小さなアトリエで何やらつくり続ける姿に感動を覚えました。

プレイヤーとしてまだまだやりたい半面、マネージャーとしての役割を担うことも増えてきたいまの自分にとって、マルジェラのつくり続ける“手”が大切なことを教えてくれた気がしました。

アート系ドキュメンタリーとしては、『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』、『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』(以前このブログでも書きました)と合わせて私の個人的ベスト3に入る映画でした。

ここ最近では、先月末にメゾン・マルジェラが2024年のアーティザナルコレクションが発表され、話題になりました。ブランド名に「マルジェラ」の名前は残っているものの、もうクリエイティブ・ディレクターのジョン・ガリアーノのブランドなのだなという印象をつよく抱きました。

国立民族学博物館・特別展「交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界」

国立民族学博物館、通称みんぱくは大阪の万博記念公園のなかにあります。これまでにパナソニックスタジアム吹田や万博記念公園、ららぽーとEXPOCITYなど周辺施設はそこそこの頻度で訪れていました。しかし、国立民族学博物館は看板を横目にみつつ、少し気になりながらもその日の主要目的地になることは今まで一度もありませんでした。

みんぱくを「行きたい場所」と認識するようになったのは、数か月前に出会った白眉研究者の皆さんがきっかけでした。共同研究や資料閲覧で頻繁に訪れる方、個人的な趣味で行った方、彼等が語るみんぱくの魅力に、近くまで行ったことがあるのにこれまで入館しなかったことを悔やんだのでした。

その後はひっそりと機会を窺いつづけ、ついに先月上旬に閉幕した国立民族学博物館の特別展「交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界」と常設展を観に行くことができました。

自分の研究に関連する精神疾患や、中枢神経作用の薬物とかかわりのあるシャーマニズムにはもともと興味があり、ここ最近は自分のなかで民族学や文化人類学、民俗学への熱が高まりだしていました。そんな中、この特別展の情報が手元に転がりこみ、更には同期の白眉研究者が実行委員に名を連ねていることも知り、もうこれは向こう(みんぱく)が私を呼んでいるのだ!と確信したのでした。

特別展では、さまざまな神様の像や、ひとびとが神と交信する精神状態になるための儀式で用いる音楽や衣装、仮面などのツールや祭りの様子を写真や映像で垣間見ることができました。あまり時間がなくて常設展の方はだいぶ駆け足の鑑賞になってしまい、でも思った以上に気に入った展示が多く、もっとゆっくり時間を確保してまた来ます、と決意したのでした。ミュージアムショップの書籍コーナーも、街の書店で見かけない民族学関連の本が充実していて、興奮してしまいました。

太陽の塔を見上げながら公園を歩き、みんぱくで過ごした休日は、外の世界を取り込んで自分がまた少し広がったと感じるとても大切な一日となりました。

右はミュージアムショップで購入した本。各国でフィールドワークをする人類学者のエッセイが知らない世界への扉を開いてくれました。

「異界へのまなざし」と「犬王」

京都で仕事を終わらせたあと、京都で開催されていた「異界へのまなざし あやかしと魔よけの世界」展をみにいってきました。会場である京都文化博物館は、以前このブログにも登場した京都国際マンガミュージアムから目と鼻の先にあります。煉瓦造りの本館の前は何度か通りかかったことはありますが、中に入るのは今回が初めてでした。

展覧会場は照明が落とされ、幽霊の掛け軸や能面などが薄暗やみのなかからぼわーっと見えてくる様は、自分がいまひとりでこれらと対峙しなければならない錯覚に陥る感覚があり、この世に踏みとどまるべく解説文を読みながら一歩一歩ゆっくりと巡回していきました。知識がないなりに、百鬼夜行は京極夏彦で知ってる、とか土蜘蛛は『新世界より』に出てきたな、など自分の記憶とこの巻物に描かれた初めてみる妖怪の姿を新たなネットワークで繋ながら一通り展示を堪能して帰路についたのでした。

その後しばらくして、知人が京都に能の鑑賞に行くと聞きました。そういえば気になっていたアニメ―ション映画『犬王』も能の話だったよな…と思い出して、観てみました。実在した能楽師・犬王をモデルとした古田日出夫の小説が原作となっており、盲目の琵琶法師と犬王との出会いから、彼等の舞台が大衆を熱狂させるようになる過程が描かれています。現代風にアレンジされた琵琶の音色と、女王蜂・アヴちゃんの特定の枠に嵌らない声色、そして能と呼ぶには斬新すぎる踊りが相俟って、さながら異界の音楽フェスに参加しているような感覚がありました。

この『犬王』では能面や音楽、踊りが異界とつながるきっかけとなる場面が描かれています。実際に、「異界へのまなざし」展でも将軍が鑑賞する能の場面に異形が現れる巻物がありました。平家の怨念を聴き、能楽で成仏させる犬王のシャーマンとしての側面にもとても興味を惹きつけられたのでした。

「マフィンおばさんのぱんや」

ちいさな町に住んでいるので、欲しい本があっても日常の生活範囲ではなかなか入手できません。主にネット書店を利用するのですが、やはりリアル書店にも行きたくなります。

先日、久しぶりに都市部に出る機会があったので大型書店に立ち寄りました。短時間のつもりが、あれもこれも気になってついつい滞在時間が延び、最終的は腕に分厚いものから少し薄めのものまで何冊もの本を抱えてレジに並びました。

レジを待つ間にふと壁に貼ってあるポスターに目が留まりました。「ブックサンタ」とあり、「あなたが選んだ本をサンタクロースが全国のこどもたちに届けます」と書かれていました。この制度を利用した保護者からの声として、いつもクリスマスプレゼントを買ってあげられなくて、とか本を買ってあげる余裕がないなどの文章がそこに並んでいました。

私はレジ待ち行列から一旦抜け、児童書コーナーで一冊の本を選びました。そして、自分用の本とともに会計をし、レジの方に「この絵本はブックサンタでお願いします」と伝えました。

私がこどものときに読み、息子たちも好きで何度も読み聞かせたことのある絵本のなかで、その書店の児童書コーナーに在庫があった一冊を選びました。マフィンおばさんのぱんやで働く少年の、ある一日の挑戦と失敗が、パンづくりの工程とともに描かれています。今年のクリスマスに『マフィンおばさんのぱんや』がだれかの手元に届いて、そして気に入ってくれますように。

「サルなりに思い出す事など」と「ロマニ・コード」

ハンガリー・ブダペストの共同研究者の研究室を訪問してきました。ラボメンバーと一緒にフムスを食べにいったときに、大学院生のひとりが「サルの研究しているならロバート・サポルスキ―を知ってる?私、彼のファンなの。」と質問してきました。

ロバート・M・サポルスキ―はヒヒの集団における行動とストレスレベルの関係を長年研究をしているアメリカの霊長類学者です。アフリカでヒヒの集団を対象におこなっていた研究の思い出を綴った本が表題の『サルなりに思い出す事など』です。軽妙な語り口で次々と繰り出されるおもしろエピソードにニヤニヤしつつ、ときに研究の障壁となる現地の人々との関係や政府の政策などにもどかしさを感じ、ヒヒの生活の厳しさに思いを馳せ、そして怒涛のラストへ…。野生のサルの行動観察にも興味があって霊長類研究の世界に入った私に、この本はわくわくするような世界を垣間見せてくれました。

質問してきた彼女と、この本の話や「表紙がいいよね」などと話が盛り上がったのでした。ちなみに彼女は『人生がときめく片づけの魔法』で知られるこんまり、こと近藤麻理恵にとても影響をうけて、不要な持ち物を処分し、いまはミニマルな暮らしをしているそうです。私もドミニク・ローホーに影響をうけてシンプルライフを心掛けて日々生活をしているので、国境を越えてこのような生活スタイルが文化として広まっていることを嬉しく思いました。彼女は「それは誰?」と尋ねる他の学生に、こんまりの理念について丁寧に説明していました。

ヨーロッパ出張中にはロマと思しき人々を見かけることがありました。帰国後、書店で角悠介『ロマニ・コード』という本に出会いました。ハンガリー、スペインでの自身の実体験があったからこそ、星の数ほどある本のなかからアンテナに引っかかり、手に持ってレジに向かったのだと思います。『ロマニ・コード』はルーマニアの国立大学でロマにロマニ語(ロマの言語)を教えながらロマニ語の研究をしている日本人の言語学者です。この本では、著者がロマニ語を研究するに至った経緯、ロマの歴史と現状、ロマニ語を教えてくれるロマの先生たちとの笑いを堪えられないエピソードの数々が「うるさい文章」(筆者談)で綴られています。

断片的にしか知らなかったロマの文化に触れることができ、そしてなにより、言語にあらわれてくる国を持たない彼ら独特の「世界観」にこれまで築いてきた自分の中心がぐらっと揺らぐような感覚をおぼえたのでした。

スペインで『サラゴサ手稿』を読む

国際脳研究機構(International brain research organization: IBRO)が開催する国際学会に初参加してきました。コロナ禍だったこともあり、今回スペイン・グラナダで4年ぶりの大会が開かれました。

われわれ神経科学者が多く参加する学会といえば北米神経科学会(Society for Neuroscience: SfN)主催の、毎年11月に開かれる国際大会です。SfNは参加者が世界中からおよそ3万人の研究者が集います。一方IBROはおよそ3千人弱と10分の1の規模しかありません。しかし、「ときどき噂にきくIBROに一度は参加してみたい」という気持ちと、何より「開催地がグラナダ」であることに惹かれ、今年の研究成果発表の場に選びました。

以前、『サラゴサ手稿』についてはブログにも書きました。この小説の舞台はシエラ・ネバダ山脈であり、この山麓にある都市のひとつがグラナダです。地図をみつつ少しずつ読みすすめていた場所に自分が立てるチャンスを逃すわけにいかない、と思ったわけです。

今年の春、申請していた演題抄録がIBRO採択され、現地に行くことが決まりました。その時点で「下巻」の途中まで辿りついていたのですが、是非、グラナダで『サラゴサ手稿』を読む体験がしたい!と読むのを中断していました。

さて、グラナダへ向かう空港の乗り継ぎ時間に『サラゴサ手稿』を読み、学会に参加して、空いた時間にカフェのテラスでまた読みすすめました。最終日にはアルバイシン地区の丘まで行き、物語の途中に登場する「アルハンブラと呼ばれる宮殿」(p.299)を眺め、岩場のくぼみで暮らすひとびとの生活を目の当たりにし…と夢のような時間を過ごすことができました。

“アルバラジンと呼ばれるグラナダの町外れに住み着いた者もいる。ご存知のように、あそこには家というものがない。人々は山の斜面にある岩場のくぼみに住んでいるのだ。”(p.304)『サラゴサ手稿』畑浩一郎訳(岩波書店)

グラナダのカフェのテラスにて。学会が終わったあと、夕方なのにまだまだ外は明るい。

ニコラス・ケイジ主演「PIG/ピッグ」

こどもがいると良くも悪くもこども優先の生活になってしまいがちです。試合を観にいったり、学校や地域の行事があったり…。やっと時間ができて映画館に行くとなっても『すずめの戸締り』や『スラダン』だったり、『青ブタ』だったりします。

観たいなと思う映画は近場のシネマコンプレックスでは上映していないことが多く、名古屋のミニシアターに行く機会もなかなかつくれません。そこで動画配信やレンタルサービスをつかってひとり観ることが多くなりました。(そんななか、名古屋シネマテークの閉館のお知らせがありました。残念です。ほかのミニシアターにもなるべく足を運ぶことでささやかながら応援していきたいと思っています。)

今年に入って観たものの中では、『LAMB/ラム』『MONOS 猿と呼ばれし者たち』『ジャッリカットゥ 牛の怒り』が印象に残っています。

そのなかのひとつ『PIG/ピッグ』は、森のなかでトリュフ狩りのブタ(とてもかわいい)と静かに暮らしていた男が、誘拐されたブタを追って街に出ていくストーリーです。ニコラス・ケイジの長髪ひげ面がパッケージに使われており、「慟哭のリベンジスリラー」と紹介されているので、どんな手をつかって暗黒社会に乗り込んでいくのか…とわくわくしていたのですが、よい意味で予想を裏切られる作品でした。

『PIG/ピッグ』も『LAMB/ラム』も森のなかや山で近代文明から距離をおき質素に暮らす人が主人公です。その環境でそれまでの平和な暮らしをつづけたかっただけなのに…という願いが叶わない喪失感が美しい映像とともに心を抉りました。

(PIG/ピッグ公式サイトより)

「中国の死神」大谷亨

凄い本を読んでしまいました。

自分を変える凄い本は,たしかにある。読前と読後で,自分が一変してしまうような衝撃や視座をもたらすようなやつ。価値観や生活感だけでなく,ともすると人生そのものにインパクトを与える。見慣れた世界をひっくり返したり,世界の解像度が上がるような「目」を手に入れるという喜びをもたらす。読み始めたら最後,徹夜を覚悟しなければならないような,「夢中本」とも「徹夜本」とも呼ばれる一冊だ。

そんな運命の一冊となる凄い本のことを,「スゴ本」と呼ぶ。そして,(ここ重要)そんな運命の一冊は,じつは何冊でもある。” (Dain著「わたしが知らないスゴ本は、 きっとあなたが読んでいる」の紹介文より)

これはきっと私にとっての「スゴ本」なんだと思います。

先日、ネットでこの書影をちらりとみたときに、表紙の人形に対して自分のなかの何か引っかかり、さっそく取り寄せたのでした。これがまさに著者が感じた「ビビビッ」に似たものだったのだろうと思います。桃太郎神社の鬼の像をみたときのような、ヤン・シュヴァンクマイエルの『ファウスト』の木彫りの悪魔や道化師をみたときのような…。この一瞬の直感を逃さずに、無事にスゴ本に辿りつくことができたのです。

大谷亨さんは2022年に東北大学大学院で博士号(学術)を取得したばかりの中国民俗学の研究者で、本書は、博士学位論文『無常鬼の研究―<精怪>から<神>への軌跡』がベースとなっているようです。

この博士論文のタイトルにもあり、本書の表紙にも登場する「無常」とよばれる中国の神でもあり鬼でもある存在が、どのようにして生み出され、現在に至るかを民俗学的に追ったノンフィクションです。学術論文がもとにはなっていますが、いわゆる専門書ではなく一般向けに書き直され、旅でのできごとや写真とともに自分まで中国の村々をフィールドワークをしているような気分ですらすら読むことができました。その旅のなかで、いろいろな姿かたちの無常にと出会い、人々と出会い、文献をあたり、少しずつ無常の歴史や変遷があきらかになってくる様子は推理小説を読んでいるようでもありました。

次なるスゴ本、スゴ映画にめぐりあうために旅はまだまだ続きます。

「できる研究者の論文生産術」

論文としてまとめなくてはならない実験データが溜まってきてしまいました。そんな自分に活をいれるため、久しぶりに本棚からポール・J・シルヴィア著『できる研究者の論文生産術』を取り出し、また読みはじめました。

たしかこの本のことは冒頭に推薦の言葉を書かれた三中信宏さんによる宣伝で知り、Amazonですぐに予約・購入した、と記憶しています。ちなみに、「みなか先生」は私が勝手にメンターと思っている進化生物学・生物統計学の研究者です。数年前には統計学の集中講義のため霊長類研究所に来られていて、学食や廊下でお見かけしました。しかしMatlab派だった私は、Rをつかうという理由だけで当時は講義を受講しなかったのです…なぜだ…自分…。

話は逸れましたが、この本の原題はHow to Write a lotで、文字通り、研究者がたくさん文章を書くためにはどうすればよいか、ということを教えてくれます。一番大事なのは、週末だったり長期休みをあてにして執筆時間をみつけたり待ったりせず、日々のスケジュールの中に執筆時間を割り振ってそれを死守する、ということです。最初に読んだときにはこの考えに感銘を受けました。その後、折に触れて読み返したりしています。とはいってもまだ完全なスケジュール派にはなりきれていません。それでも、英語も堪能ではない自分が(それほどハイペースとは言えないまで)現在までにいくつか国際誌から論文を出せているのは、この本に依るところが大きいと思っています。

最初に読んだ2015年は学位を取得して2年ちょっとの駆け出しのポスドクでした。あれから8年経ちました。いまこの本を読み返すと、査読や共著論文、指導学生に対する心構えなど前回までは読み飛ばしていた部分から新たな学びを得たりしています。